吉岡文平

「声」

2006年2月25日


福岡市総合図書館映像ホール・シネラで、『百年の絶唱』16mm版上映があり、別件もあって来福していた私は久々にそれを

見た。何年ぶりだろうか。我々の手元にあるプリントには、既に英語字幕がレーザーで焼きつけられているため、完全な

かたちで画を見ることができるのは現在ここにしかない。客席に深く腰掛け、あらためて旧作と向かい合う。それにしても、

シネラの設備は立派だ。まずスクリーンが大きい。音響も素晴らしい。椅子の感触も申し分ない。最良の環境で、真ん中

あたりの客席から見させてもらった。だが今回も終始落ち着いて観覧出来たわけではない。白状すると、私はいまだかつて

この作品を心穏やかに見れたことがない。前作の『第一アパート』も自分自身が出演しているため、今だに直視困難な作品

だが、『百年の絶唱』もまたしかりなのだ。


それにはある理由があった。


私は製作者として この難産だった映画と 完成までの相当な時間を格闘してきたのだが、実は佐野和宏氏とも葉月螢氏とも

共演している。ただしスクリーン上ではない。舞台は1997年4月、荻窪のスタジオである。主演の若者がアフレコ作業に入る

直前に失踪したため、急遽私が主人公の声を担当する羽目になったのだった。監督以外で台詞が全部アタマに入っているの

は私だけという理由である。良いも悪いもやるしかなかった。主人公の気持ちをイメージしたりしてみるが、簡単に声優

など勤まるはずもない。仕上げを担当してくれた録音の菊池信之氏からも佐野氏からもダメ出しをもらう。なかなかみじめ

なものだ。時折我に返って「何で今、俺はスタンドマイクに向かっているのだろう」と、考え込んだりもする。監督は私の

芝居に寛大だったが、私には結構堪え難いことだった。芝居が出来ずに叱責されることは別に仕方ない、どだい無理な話な

のだから。そうではない、私は自分の声が嫌いなのだ。いや、自分の声を聞かされることが苦痛だと言った方が正確かも

知れない。現場はスタジオである。テイクを重ねそれを何度も繰り返しチェックする。その度、スピーカーから私の声

響く。いたたまれない瞬間の連続だ。


自分の声と言えば、まだ高校生のころ とある同級生に「吉岡は声がええ」とお褒めに預かったことがあった。大学でもサー

クルの仲間に同じように言われたこともあった。根拠はないが、きっと嫌なのは自分だけだ、周囲は何とも思っていない。

かつてはこの声に好感を抱いてくれる者すらいたわけだ。翌日も翌々日も自分の声と格闘する。スタジオのスピーカーだ、

きっと正確に私の声を再現し反復しているに違いない。私は普段こんな声でしゃべっているのだ。嫌だな……。

終盤には監督とも声優競演した。彼は衒いなく熱演する。さすがだと感心する。そして1997年5月、アフレコは終わった。

映画『百年の絶唱』を見ても、ほとんど誰もそのことに気づかない。本来の主役の彼の声も知らなければ、代役の私の声も

知らないのだから当たり前だ。余程身近な人間でも“私の声”だとは、言われるまでまず気付かない。が、私は毎回気づ

く。気になって仕方がない。30年近く前のことを思い出す。


1980年4月、京都から滋賀に引っ越した私は、転入先の小学校で当時流行っていた遊びに夢中になった。それは百人一首

のかるた取りだった。蝉丸の歌くらいしか知らなかった私は、当然クラスで最弱だった。くやしがりの私は、「もう一回」

と何度も挑戦する。しかし連戦連敗する。何十枚あるいは百枚、ほとんどの“みそひともじ ”を暗記している連中に対し、

下の句が読まれてからようやく札を捜す私とのハンデは決定的だった。5月の連休の間、私は家庭用のカラオケマイクを

握って百人一首を全部カセットに吹き込んだ。それがあれば、再生して自分一人でもかるた取りの稽古が出来ると考えたの

だ。しかし問題があった。声である。どうしても自分の声が流れることが、気になって集中できない。数日後、私は近所の

友人に頼んでマイクの前で百枚読んでもらった。これなら何も気にせず集中できる。私は来る日も来る日も彼の声を再生し

て稽古に励んだ。6月、私はクラスで一番強くなっていた。もちろん百歌とも暗記していた。夏休みが近づく頃には、よその

クラスからも挑戦者が現れるまでになった。歌の意味などひとつも理解していなかったが、私は連戦連勝した。そして翌年

の1月に三重へ引っ越してしまうまで、ついに一度も負けなかった。


それから7年余りが過ぎた。百人一首を丸暗記していることなど受験には屁の役にも立たず、浪人時代を経て1988年、大

に進学、上京した。当時の私の部屋にテレビはなく、ラジカセだけの生活が続いていた。ある日の深夜、銭湯から戻った

私は、音楽を聴こうと無作為に箱をまさぐって一本のカセットを取り出した。すると、そのテープから不意に“みそひとも

じ”が流れた。歌っているのは小学生の私だった。唖然とした。間違いなく自分の声だと確信するも、なぜか全く気恥ずか

しさを感じない。念のため、早送りをしてその先を聞いてみる。懐かしいあの友人の声が流れた。また少し巻き戻して、自

分の声と向き合ってみる。全然平気だ。自分の声だと分かるが、他人のように感じる。「そうか、これが声変わりというや

つか……」一人で納得する。感慨深い出来事だったが、誰とも共有不可能なまま布団に入った。


『百年』のアフレコから十年は経っている。しかし、28歳が38歳になったところで大して声は変わっていないことを

思い知る。ようやく映画は終盤の見せ場を迎えた。ここまでくれば主人公は、もはやほとんど喋らない。したがって私の声

も聞かなくて済む。もう安心だ。こうなると映画は一気にスピードを増す。あっという間に終わってしまった。


人に聞かれると、いつも私は胸を張ってこう答える。「『百年の絶唱』は、後半からが見どころの映画だ」と。


つづく


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