近藤崇生

「拝啓、伊藤清美様」


2005年冬、井土監督、プロデューサーの吉岡、仕上げの臼井技師、制作部の兼沢、そして私は、日本ジャーナリスト専門

学校の録音スタジオにいた。『複製の廃墟』のアフレコをするためだ。午前中から機材準備をし 万全の状態で、一人の

人物が訪れるのを待っていた。

予定の時刻から数分が経ったその時、スタジオのドアが開いた。部屋の中には、いざ撮影が始まらんとするのと同様の

緊張感が走った。現れたのは、『複製の廃墟』でナツエ役を演じ、ピンク映画をはじめ、数多くの(35mm作品だけでも

200本以上とも言われている)映画に出演しているベテラン女優、伊藤清美であった。

早速、我々は、今回のアフレコ箇所を確認してもらうため、仮編集されたビデオを再生した。撮影から半年ほど月日が

経っているため、懐かしそうにしていたが、モニター画面を眺める姿は真剣だった。確認の最中、伊藤は自らが演じて

いる芝居の映像に対して、何かを発見したような仕種をした。その仕種は大げさなものでなかったが、同じ空間にいる

者には気づくものであった。アフレコ箇所の映像が終わり、数秒の沈黙の後、やはり先ほどの仕種を気にしていたのか、

監督が「清美さん、何か気になった箇所はありましたか」と、神妙な面持ちで窺った。

「わたしの腕、太い〜」

2004年8月のある日、『複製の廃墟』第1期撮影を、吉岡邸で行った。この日も東京は相変わらずの猛暑だったが、エア

コンを止め 暗幕で窓を遮蔽し、部屋の中はサウナ状態になっていた。しかも、8畳の芝居場には常に10人ほどの撮影スタ

ッフがいるという、肉体的にも精神的にも過酷な現場であった。午後になり、役者同士の立ち回りがある 今回の映画の

核となる重要なシーンの撮影となった。朝からの撮影で、スタッフのなかにはすでに疲労感が漂っていたが、皆それぞれ

の持ち場に集中していた。マユミ役の東美伽、ベテラン刑事役の小野沢稔彦、そしてナツエ役の伊藤清美がメイクを終わ

らせ現場入

りし、芝居の段取りが始まった。重要なシーンであるため、段取りから監督の熱の入った演出が行われた。撮影は順調にOK

カットを重ね、いよいよナツエが格闘の末、絶叫するというヤマ場のテストが始まった。殺陣芝居のため、鍋島カメラマン

から手の位置、首の傾け方など細かい指示が伊藤に与えられた。それらの指示を確認しながらの芝居のためか、何度となく

行われたテスト中、彼女から発せられた台詞はたどたどしく、弱々しいものであった。そして、いよいよ本番テイクが始ま

ろうとしていた。私は絶叫する伊藤清美を想定して、ミキサーのフェーダーをテストより微妙に余裕をもって設定した。

本番。

その小柄で細身の身体からは想像もつかない壮絶な芝居に、その場にいた者は圧倒させられた。私の収録した音は、割れて

しまった。私の未熟な指は伊藤清美の芝居を前に、全く歯が立たなかった。NGだ。額からは今までとは違う汗が流れてきた。

満足な表情を浮かべる監督とカメラマン。現場に安堵と充足感が満たされるなか、その雰囲気からは全くの場違いの、頼り

なげで泣きそうな私の声が、ヘッドホン越しに響いた。

「もう1回やらせてください」

嗚呼、女優はおそろしい。


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