西村武訓

「祭り」


私の故郷:伊勢市には、伊勢神宮がある。

神宮にお参りすることは、私にとって 宗教行事ではなく、習慣になっている。

20年に一度、お宮替えする「ご遷宮」と呼ばれる伊勢神宮最大の祭りには、地元住民が総出で参加する「お木曳き」と

よばれる行事がある。諸殿の建材になる大きな御神木を2本の綱で街中を引っ張り、神宮まで奉納するのだ。

20年に一度と言っても、実際には、何年にも及んで準備が続くのである。

昨年と今年は「お木曳き」。6年後には、「お白石曳き」。

そして ある夜、20年前に建てられた正宮から、すぐ横に新築された真新しい正宮へと、神が移るのだ。

「映画は祭りだ」と井土監督は言う。

そう、映画を創るためにも、準備が不可欠である。

準備が十分に出来ているか否かで、作品の出来・不出来にかなり影響するのである。

今回、『朝日のあたる家』篇の撮影には、十分な準備が出来なかったかもしれないが、

多くを学び楽しんだ、後悔はない。

今後も、祭りの準備をしていきたいと思う。


2007年5月初旬、私は地元:伊勢で20年に一度の大祭「神宮式年遷宮:お木曳き」に「常磐仲町 清栄社」の奉曳団員

として参加した。

伊勢で一生過ごす人でさえも、数回しか参加する機会がないお祭りである。

私は3月末から毎週日曜毎に帰郷し、祭りの準備をしていた。20年後、参加出来る保障はなく、今しかないと確信して

いたからだ。

各地域から伊勢神宮のご神木を奉納するこの祭りでは、「木遣り唄」と云う伝統的な唄が披露される。地元の青年達が

何年も懸けて練習を重ね、実際の祭りで唄えるのは一生に一度か二度である。幸運にも私は、特例中の特例で一度だけ

唄を披露することが出来た。おそらく、一生に一度の体験である。

伝統・格式・保守・権力・金・柵・妬み・喜び・宴が入り混じった祭りの最中、自分という人物を演じながら生きている

私に、本来の自分がふと舞い降り、生きている実感が湧いた。

そんな折、過酷なスケジュールの中、最後まで活き活きと撮影に臨んでいた井土監督が、以前、言っていた事を想いだす。

「非日常的な映画の撮影中こそ、私の日常である」

大資本が地方都市に勢力を伸ばしている平成の戦国時代、

私は『ラザロ』の製作・宣伝・配給を、一生に一度の貴重な日常として楽しんでいる。幸せなことだ。


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