林昌樹

「『事件』」


地方で自主映画を続けてきた自分には大きな体験だった。

2年前のある日、当時三重県に住む友人から久しぶりに電話があった。

「井土紀州監督が伊勢で映画撮るらしいんやけど、スタッフ行かへん?」

という用件だった。

学生の延長で 中途半端に続けていた自分の自主映画に対する方向性を 何処かで変えたかった私は、ひとつ返事でオー

ディション会場に向かった。

井土監督と言えば何年も前に『百年の絶唱』を拝見して以来、勝手に恐ろしいイメージを作りあげていた。だから正直

言うと、ひとつ返事で参加を希望したものの不安は隠せなかった。それでも当時の環境より外で映画制作に関わって

みたいという気持ちから、ある種の覚悟を決め臨んだつもりだった。しかし、当然のごとく緊張しきった私は 面接でも

上手く喋ることができず、気付いたら終わってしまっていた。

それから数日後、吉岡プロデューサーから連絡があり、友人の松尾と一緒に制作部に入れて頂くこととなった。

ロケが行われる三重県に入り、井土監督と改めて会うと想像とは違い、とても気さくな方だった。

しかし、撮影が始まると一転、現場を取り囲む緊張感と役者の芝居を睨む鋭い目は 作品と正面から向かい合う姿勢を

感じ、気迫あふれる掛け声はそこに立ち向かう魂の叫びにも聞こえた。撮影現場はまるで日常生活を超えた異空間にある

ようだった。

井土監督の現場では“井土組”ではなく“井土班”と呼ばれた。

吉岡プロデューサーは「“組”ってヤクザみたいだから」と言っていたが、その呼び方は、システム云々よりも共同作業

の在り方を強く意識させた。

これまで閉じた環境で映画を作ってきた自分にとって 様々な所から集まったスタッフ・キャストとの共同作業は刺激的

で、作り手として、人間として、多くのことを学んだ。

大げさかもしれないが、ここでは己の人生経験を問われているような気さえしてきた。

そうして自分の仕事を無我夢中にこなしていくうちに撮影はあっという間にクランクアップを迎えた。そんな中、制作部

というパートに映画制作の新たな魅力を感じ始めていた。

その後、商業映画にも何本か関わったが これほど思い入れの強い現場はないように思う。

さて、参加させて頂いた伊勢編『朝日のあたる家』も完成し、三部作となって公開が決まった。

あのような女性像を描き出した監督に改めて驚愕した……。

現場での体験と共に完成したこの映画が私にとってひとつの事件となろうとしている。


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