吉岡文平

「制作とは足下見つめたり」


私の下駄箱の下段には、三足のスニーカーが並んでいる。どれも見事に履き潰してしまい、浸水はもちろん 爪先や踵に風を

感じるものまである。これらは『ラザロ』三篇のそれぞれのクランクイン直前に購入したものだ。合宿ロケが多かったことも

あり、撮影中はずっとその時買った靴ばかり履いていた。別に験担ぎなどで始めたわけではなかった。きっかけはこうだ。

最初の「蒼ざめたる馬」篇・京都ロケの際、鍋島カメラマンと私は 新幹線で到着するやいなや、学生スタッフの車に乗せら

れてロケ地の確認に連れ出された。クランクインまでほとんど時間がないのでやむを得ないことだった。まず“最も重要な

ロケ地から”ということで、生憎の雨模様のなか案内されたのは山奥の川べりだった。順当に走っても市街地からは相当な

道のりだったが、途中道に迷うなどしたため 目的地に到着した頃にはもう薄暗かった。マグライトを照らしながら私たちは

現場まで歩いた。泥濘がひどくてとにかく歩きにくい。“所々深みがあるから、嵌らんように気ぃ付けや”と地元の人に

言われたそうだ。おまけに“底なし沼みたいになっている”場所もあるらしい。木々が根元から露出し奇妙な姿で辺りを

覆っている。

おいおい怖いぞ。エライ場所を選んでくれたものだ。


気が付くと、私はかなり不機嫌になっていた。学生スタッフの段取りや安全確認のことなどではない。さっきから泥水が

靴中に浸水してきて、堪らなく不快なのだ。私は靴下が濡れることを昔から最も苦手としていた。あらゆる事について、

まるでやる気を無くしてしまうのである。いかん、クランクインもまだなのに、このままでは“東京に帰る”と言い出して

しまいそうだ。おまけに超がつくほど冷え性の私は、足下から襲ってくる寒さに腹部が反応し始めていた。やむなく学生の

代表者に緊急事態を告げた。「このロケーションは素晴らしいが、日没だ。次の場所へ移動しよう。そして次に重要なロケ地

は、靴屋だ」京極あたりの大型靴店で、私は靴下と白いスニーカーを購入した。鍋島氏も何某か買っておられた。完全に復活

した私は、意気揚々と次のロケ地へ向かった。

撮影が始まり数日後、いよいよ問題の川べりのシーンを迎えた。しかし私には備えがあった。既に量販店で長靴を数足用意し

ておいたのだ。現場で希望者を募ったが、履く者はほとんどいなかった。


それならばと、私はいちばん大きいサイズのものを選んだ。27センチだ。それでも私には少々窮屈だったが、格安品ゆえ

種類が限られている。仕方がない。爪先を力ませ 踵との間で緩いアーチを作り 土踏まずを浮かせるようにして、どうにか

足を収めた。

川べりのロケは、アクションシーンもあって結構ハードなものとなった。私も若いスタッフに混じって走り回った。長靴の

おかげで、泥濘などもはや敵ではない。靴下に湿気をもたらすのは、自分の汗だけだ。快調である。しかし靴の中では、無理

な姿勢を続けていた。私の足は限界に達していた。しばらくして私は突然尻餅をついた。両足が同時につってしまい、立って

いられなくなったのだった。連日の睡眠不足も影響したのかも知れない。情けないが動けない。撮影は しばしストップ。

心配した若者たちが、つっている私の足を引っ張ってくれた。「すまんのう」……私こそ若者たちの足を引っ張っていた。


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