木村文洋

「夜の底」


1999年、3月、福岡の夜の底。

ボコッ− 静まり返った八畳間に鈍い音が響いた。

『黒い看護婦』(2004年)と題される書籍にもまとめられた、福岡県久留米の看護婦殺人事件。

夫が寝静まった夜11時。部屋に裏口から、同僚の女性3人がノソノソと入ってくる。一種異様な光景。夫は目覚めない。

妻は黙って3人の女性を迎え入れ、「あんたは見なくていい」とその中の一番強い女性に命じられた。彼女らが何をする

か− 、それは妻にはすでにわかっている。夫の鼻にチューブが通され、大量に胃に入っていくウィスキー。

もう目覚めなくなった夫の顔。その顔を、例の一番強い女性が蹴った時、静かな夜の底にはボコッ、という音が響いたと

いう。「あんたも蹴らんね」と命じられた妻はそのまま夫の頬を蹴り、何度も何度も殴る− 。 その後、彼女とその強い

女性とは笑いあったのだという。

「あの音?ああ、あれは週刊誌で見つけたんだ」井土紀州氏はそう言った。

まとまった書籍にされる前、断片的な事件の記事しか無かった2003年。それらをかき集め、年表を作成し、それを見つめた

私達学生スタッフが、すっぽりと見落としていたものを、氏は映画に取り入れていた。

そんな音のことも忘れていた私は、2作目『複製の廃墟』篇、3作目『朝日のあたる家』篇までが完成を間近にした2006年

の秋、あの事件は何だったのだろうかと、事件のことすら世間が忘れかけた時期に書籍を手にとり、井土氏に質問したの

だった。


2003年、10月、京都の夜の底。

不意に「板倉(脚本)に会いに行こう」と言い出した田中荘介(制作)が運転する車に乗って、滋賀の板倉の家まで私と

辻村(制作)との3人で向かっている。「もう少し待ってと言うけれど、これ以上一人にしても書けないよ、あいつ……」

私達は車中でそんな会話をしている。

井土紀州がこれまでに、現在社会の中で起きた事件をもとに脚本・映画を制作していることはよく知られている。現実の

事件に目を注いでいると、現在の社会の問題・深部が見えてくる、と氏はかつて語った。自分の人生、頭の中で収まらない

映画を。自分の外側にもっと目を開いた映画をつくること。当時「優れた、骨のある脚本とは何か」のヒントを捜し、私達

学生スタッフは、運営していた京都国際学生映画祭の企画の一点に『映画×脚本』というテーマを書き加えたのだった。

「脚本は、書き出すまでが大変なんだ」と氏は言い、いつも書き出す前に行う取材方法を私達に教えてくれた。記事を集

め、年表を作成し、事件のあらましを見つめること。忠実にはそれをやり、そしてそこまでで、私達は完全に“絶句”し

た。私達のある種想像できない場所・環境での出来事とはいえ、どうして普通の家庭までも持った女性数人が、自分達が

それぞれ愛する男性を殺めていったのか?

当時の板倉が執筆していたシナリオを今読み返すと、ディテールが細かい。普通の看護学生が学校で薬品を学んでいる様

子、4人の女性の日常会話。取材のプロセスで拾われた、事件の背後のエピソードも細かく配置されている。しかし……

それらはどこか無残なままにゴツゴツと、現実からそのまま引用され、並んでいるだけなのだ。現実に絶句し、動けないで

いる私達の目線が、そのまま無力にエピソードをつなげている……。私達はせめて理解できるところからと、あの福岡の

夜の底で夫を殺した、一番立場が弱い女性と、夫との恋愛関係から考えていった。

井土氏は資料を集め、徹底的に読みぬいたあと、それらを執筆直前で、全て捨てるのだという。事実を読みぬいても把握し

きれない空白の部分。その空白を埋めるために想像力を働かせる。その想像力こそが作劇の源泉であり、その過程でやっ

と、自分が事件の何に反応したのかが見えてくるのだという。


2006年、12月、沖縄の夜の底。

京都の夜の底は、あれから何日か続いて、そのまま朝につながった。田中と私と辻村は制作へ、板倉は井土・吉岡氏に相談

に東京へ、みな散り散りになる最後の晩に集まり、朝まで話し合い、それをギリギリまでまとめていった。私達が書いた

シナリオは、二つの台詞だけが残った。私達は一体、あの事件の何に反応したのか?たった一篇の完成した『蒼ざめたる

馬』をスタッフ全員で初夏に観て、映画祭で上映しても、マユミという女性が一体何を望んでいるのか?という最も難しい

問いで答えがつまってしまうのと同様、なかなかその問いへの答えを得られないまま時間は過ぎていった。

3年ほどの月日が経ち、あれ以来、再び一つの現場でシナリオを詰める機会がとうとう訪れないまま、それぞれの映画現場に

散った私、板倉、田中、辻村。一人で自作の脚本を書き続けることにも煮詰まった私は、親友の映画作家・小谷忠典に誘わ

れて、カメラを持って沖縄の夜にいた。

沖縄・コザの傍らにある60年以上の歴史を持つ遊郭。そこここの店のガラスには度々、「外国人はお断り」と英語で貼って

ある。米兵による残忍な事件が数え切れないほど頻発したこの場所では、外国人を客に取らない娼婦も多い。そして沖縄に

二人で行って気付いたことだが、この土地には沖縄以外からの移住者も本当に多い。小谷さんは娼婦の裸体をカメラで見つ

めていくことで、沖縄に来なければならなかった彼女達の人生、傷を記録しようとしているのだという。私は遊郭の女性に

カメラを向ける動機がとうとう見つからず、次の日から基地の方へ流れていった。沖縄の冬でもナマ暖かい、夜の底。小谷

さんとバカみたいに、他人の人生は重い、なんて当たり前の話をした。映画にするなんて一体どういうことなのか。他人と

時間を何とか共有でき、その時間は撮ることは出来ても、それだけでは映画にはならない。

井土氏は、あの聴いてもいないボコッ− という音を、そこを考えることから「映画にすること」を始めた。今はそう思えて

ならない。映画にすることから、自分があの事件に何を見ようとし、何を見たいと思ったのかを見つけようとしていったの

だろう。それは怖い作業でもあると思う。「映画にすること」の恐怖に負けると、映画をやめたくなる。私は今そうした

心境に襲われる夜の底にいながら、小谷さんが沖縄から帰ってきてから書いた、大好きな言葉を思う。

旅で想う。なぜ、生きてるものは、

自分だけで満足できないのだろうか。

自分だけを愛せないのだろうか。

誰かを愛そうとするのだろうか。

『ラザロ-LAZARUS-』は一つに、マユミの旅の映画といえると思う。

彼女はこの旅で、こんな言葉を思わなかったか。何故かどうしても、そのことが気になった。


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