板倉一成

『ブルーにこんがらがって(仮)』」


今、改めて『蒼ざめたる馬』が続編を連ね、『ラザロ』という映画として 公開されようとしている中で、ウェブサイトの

“CAST/STAFF”ページに自分の名前が載っているのを見ると、新しい記憶として3年前の出来事が思い出される。と同時に、

それを飲み込めない自分がいる。そして、恐らくこの映画が3年間動き続けてきたことと同様に、自分の中の3年前の出来事

は現在進行形で動き続けているような気がする……。

と思い出しながら書くので、ノスタルジックな言葉に回収されてしまうのであろうなぁと思いながら、3年前のことを書いて

みる。

僕が井土氏と初めて電話で話した時は、緊張で声が震えていたような気がする。それからすぐにメールをもらい、そこには

脚本の書き方も知らない 僕とプロデューサーの木村氏に「徹底的に取材しろ」、そして「笠原和夫の“取材なくして、想像

力なし”を思い出せ」と記してあった。すぐに新聞・週刊誌をあたるべく図書館に行き、年表を作り、登場人物の関係を一枚

の紙に書き連ねた。紙の上でひとしきり、あーでもない、こーでもないと言っているうちに、東京に行くことになった。初め

て会う井土氏に萎縮しながらも、考えている設定などを話した。そこに吉岡氏という男性が現れ、その時は誰だかわからない

まま話を聞いていたが、その後、吉岡氏には何度か救われることになる。

京都に戻り、とにかくプロットを作ることになった。しかし、最後まで書けない。未完成のまま井土氏にメールを送り、電話

で話し、アドバイスをもらう、それの連続であった。事実が羅列された僕の脚本に、井土氏は「関係性を描け」、「ひとつ

ひとつのシーンに狙いをつけろ」などと細かく指示を出した。プロデューサーの木村氏に相談しながら、井土氏から発せられ

る言葉にしがみついた。

吉岡氏の“ラザロ制作ノート<蒼馬編>”の中に、

“物凄い形相”という言葉がある。

今でも思う。脚本を書く上で何かが足りなかったのではなく、僕はまだスタートラインに立てていなかったのであろうと。

だから【脚本:板倉一成・井土紀州】と載っていても、その文字がうまく喉の奥へ通ってくれない。ずぶの素人が書いた脚本

をスタートラインに立たせたのは、その“物凄い形相”なのであろう。


「『泣きたいぐらい喜劇(仮)』」


企画から上映まで3ヶ月もなく、常に時間との勝負であった。もう撮影の準備が始まっている中で、僕は東京に向かった。

脚本の最後の詰めと、京都国際学生映画祭のカタログ企画である瀬々敬久監督と井土氏の対談をとりにいくのが目的だった。

対談の最中も脚本のことが頭を離れることはなく、何か役に立つ言葉はないかと探し続けた。今読み返しても、本当に恥ずか

しいことばかり質問しているが、思い出すのは、「取材しても最終的には“わからない”。“わからない”をどうフィクショ

ンで埋めるかなんだ。」という 井土氏の言葉である。対談の後、東京での最後の井土氏との打ち合わせをして、京都に戻っ

た。京都では助監督の葛西氏が急ピッチで撮影の準備をしていた。未完成な脚本を携えて、僕も撮影の打ち合わせに参加し

た。しかし、この“未完成”な脚本では、撮影の準備も心もとないと何度か叱られた。

そして、東京のホテルで缶詰になって他の脚本を書いていた井土氏が、京都にやって来るまで……ねばりにねばった。早く

来てほしいという気持ちと同時に、時間切れになるのが怖かった。

なんとか独力で完成させるが、井土氏は京都に来たと同時に、僕が書いた脚本を“物凄い形相”で書き変えていった。

僕はその後、二日間、最終稿を読むのが怖く、制作拠点になっていた町屋に行けなかった。その時に吉岡氏から「いいから

来なよ」と電話をもらい、そこからは吉岡氏の指示で制作班に入り「自分の書いた脚本が映画になるところをしっかりと見て

おきなさい」と言われた。

今でも自分の書いた脚本と 井土氏が京都で書き変えた最終稿を見比べる。

それは、あの東京での最後の打ち合わせの帰りに、駅に向かいながら「今回、脚本書いていて、自分の映画が撮りたくなった

か?」と言われた時に「撮りたいです」と答えた自分がいたからである。


『枯れた水(仮)』」


とにかく何も考えずに、目の前で映画ができていくのを見ながら、現場を走りつづけた撮影も終わった。その後、東京で井土

氏・吉岡氏は物凄い早さで編集を仕上げてきた。そして、京都国際学生映画祭の最終日、『蒼ざめたる馬』篇は特別上映され

た。

その時はタイトルに『枯れた水(仮)』とクレジットされていた。

ちなみに最初の企画書の表紙に、僕は『ブルーにこんがらがって(仮)』と記した。そして書き進めていくうち、『泣きたい

ぐらい喜劇(仮)』、『枯れた水(仮)』と改題していった。だから僕が『ラザロ』について書けるのは『枯れた水(仮)』

までである。

観終わった僕は、消化不良であった。勿論、この3ヶ月もない中で、色んなことにしがみついてきたのだから、咀嚼している

暇などない。前に進むだけである。しかし、そのような意味で消化不良だったのではない。

そこに写っていたものは、まぎれもなくマユミの物語であった。実は、僕はまったく別の視点で、この脚本を展開していたの

だ。いつから井土氏はマユミの物語、そして続編を思いついたのであろう?

そういえば、東京の荻窪で井土・吉岡 両氏と僕の三人で打ち合わせをした時、マユミという名前を決めたのは井土氏であっ

た。その名前のルーツは、少年時代のエピソードの中にあるという。果たして、この映画で生まれたマユミは、井土氏には

どのように見えているのであろう?

僕はまだ『複製の廃墟』篇と『朝日のあたる家』篇を観ていない。公開が待ち遠しい。そしてこの文章を書きながら、7月の

公開の時は なんとかして東京に行こうと決意した。

もう少し軽やかに文章が書けたらと思ったが、結局、ガチガチに肩に力が入ってしまった……。なんか脚本を書いていた頃と

一緒である。


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