ポスト・モダンと引用

鎮西 鎮西です。今日はありがとうございます。

   両サイドにツワモノがいるので、僕から口火を切ります。なぜ井土さんが横にいるかというと、僕の友達で井川耕一郎

   という人がいまして、映画美学校で『伊藤大輔の映画史』という作品を作って上映するというので、それを見に行った

   のですね。ちょうどその時に高橋さんも井土さんを呼んで何かの講義をやられていた。その酒の席で初めて知り合った

   んです。

   僕は井土さんの映画よりも先に「早稲田文学」に書いていた「紀州ツアー」というのを読んでいまして、すげえやつが

   いるなと。『百年の絶唱』というのはずいぶん後になって見たんです。

   それで全く僕の映画とは違うわけですよ。例えば、今日僕の映画をご覧になった方は、だいたい僕がどういう映画を見て

   いるのかすぐにわかると思うんです。

   で、何が僕と違うのかというと、高橋さんの映画もめちゃくちゃ面白いわけですが、やっぱり欲望の大きさが違うんだろ

   うなと。僕はその映画が何に似ているかとすぐにさがしてしまうんですけど、『百年の絶唱』は東京国際映画祭で見た

   アレクセイ・ゲルマンの『フルスタリョフ、車を!』にとても似ている。その解放感がですね。ちょっと説明するのは

   むずかしいんですが、テンションが高い映画であることは間違いない。パンフレットもありますが、そうそうたるメン

   バーが書いていて、どれもテンションが高いですね。批評として。

   僕の映画とかは、井土にとってみると「敵だ」というような映画ではないかと思うんですが、無謀にもその酒の席で井土

   紀州に声をかけてしまったわけです(笑)。とりあえずそんなところで知り合ったという事です。

井土 言おうと思っていたことを先に言われてしまったんですが、二十代の頃の僕は、まさに鎮西監督のような映画は「敵だ」

   と思っていたわけですね(笑)。どういうことかというと、『レフト・アローン』の第二部でわりとさらっとやっちゃっ

   ているんだけど、僕が映画を見まくったり、映画を作ろうとした時期、二十歳前後の頃というのは80年代半ばから後半

   だったわけですが、スガ秀実の言葉を借りれば、文化的ヘゲモニーを握っていたのは、ポスト・モダンといわれる言説

   だった。映画で言えば蓮實重彦の批評。柄谷行人、浅田彰、そういう人たちの言説が席捲していた。柄谷さんは、わりあ

   い早い時期にポスト・モダン批判に転じるわけですが、ともかく当時は確実にポスト・モダンの潮流が大きなものとして

   あった。

   とにかく「映画は画面なんだ」と。批評にしても作り手にしても、テーマとか問題意識よりもいかに画面、その具体性に

   徹するかなんだと。言説としても支配的だったし、わりあいそういう映画がもてはやされていたというか。リスペクトさ

   れていたわけです。政治的な図式で映画を見るとか、左翼的な志向も非常にダサイというか、支持を失っていて、知が

   行動よりも優位に置かれるような環境だったと思います。その頃、僕は法政でほそぼそと自主管理なんかやりながら、

   そういう風潮に対する反感装置みたいなものが働いていて、何とかそういうものを乗り越えたいという気分があった。

   それが『百年の絶唱』を作っていくにいたった過程です。

   鎮西さんと高橋さんにお聞きしたいんですが、たとえば僕よりも直に新左翼の衰退期をご覧になってきたと思うんです

   が、そういうものに対する印象というか、自分にとって左翼的な言説や在り方というのをどういうふうに捉えていたの

   か。あるいは全共闘世代がやっていた運動をどう捉えていたのか。それに対して自分達はどういうポジションをとって、

   どう映画を作ろうとしたのか。

鎮西 映画を撮れると思ったのはこれはもう黒沢清、もう一人はいうと万田邦敏いう方がいまして、年令が近いんで二人の作品

   は追っかける様に全部見ていた。それまでにも気に入ってた神代辰巳、曽根中生、特に清順などは好きで見ていたんです

   が映画を撮ることが実に単純な事だと初めて身近に感じられたのが、二人の8mm作品だったんです。何故神代と黒沢さんの

   トラックバックはこんなにいいんだとか、そんなことしか考えてなかったんですが。確かに蓮實重彦の「映画は画面だ、

   見えてもいない抽象的な物語を語るな」ってのにはとても影響を受けた様に思います。でも結構な抑圧装置だったんです

   けどね。

   うーん、全共闘世代へのポジションということに関してはどう答えたらいいのか分からないのですが。その世代への距離

   感が共感できると思ったのは村上龍です。「限りなく透明に近いブルー」を読んだ時に何かとっても自由になった気がし

   たんです。浪人時代に読んだせいもあるんでしょうが、簡単に言っちゃうと「私」というものから自由になったという

   気がしたんですね。当然その後浅田彰を読むことで、それに拍車がかかったんですが、左翼的な在り方に意識的になった

   のはこの二人を通してだったように思うんですけどね。全く答えになってませんが、この人は個人があって語るべきもの

   があるんだと思って見たのは北野武なんですけどね。

高橋 80年代に蓮實さんたちの批評を読んで、強烈な影響を受けたし、あの文章が無かったら、ハリウッド映画のいわゆる古典

   を見ようなんてことはなかったと思う。一緒に作っていたシネ研の人達や立教のパロディアス・ユニティーの人達。みん

   なそういうものに影響を受けながら映画を作っていた。

   政治の季節の話で言うと、まず中学生の頃は東京で何が起きているのかわかっていなかったですね。千葉県の田舎だった

   んですけど。中学生ですから、蓮實さんはおろか「キネ旬」すら読んだことがない。読んだことのある映画雑誌は「ロー

   ドショー」とか「スクリーン」。今となっては信じがたいことかもしれないけど、キネ旬すら読んだことのない中学生た

   ちで、つるんでよく映画を見に行って、そこで語られていたのが、アルドリッチやペキンパー、ドン・シーゲルだった。

   今こういう話をすると、物凄い高度なことを中学生がやっていたのかと、誤解する若い人達もいるかもしれないんです

   が、全然高度なことではなく、それは当時封切られていたアメリカ映画で最も面白いと思われていたものなわけです。

   名前という事でみんなが言っていたのはやっぱりペキンパーだった。アルドリッチの名前は飛び交ってなかったですね。

   ただみんな見ていましたね。ドン・シーゲルは『ダーティハリー』の人だという。そういうのが中学生の時にあったんで

   すよ。映画はそういうものだと。だから完全にアメリカ映画ですよね。

   一方日本映画を見ると、出会い方が悪かったのかもしれないですけど、『青春の殺人者』とか『青春の蹉跌』とかね。

   どちらも長谷川和彦が関係しているな……(笑)、すごく嫌だったですね。

井土 何が嫌だったんですか。

高橋 悩んでいるみたいな感じが。

井土 内面的であるということですか。

高橋 まあ、いってしまえばそうなんですが。内面的であるという言葉すらなくて、あの時にもっと別の形で日本映画に出会っ

   ていれば、また全然違ったでしょうね。今日いらっしゃっている常本琢昭監督のように−今日やった映画に監督助手で

   ついていた方ですが−東宝の栗田ひろみとかが出ている恋愛映画とかを片っ端から見ていたみたいな。そういう映画体験

   を僕は全然していない。日活ロマンポルノに対しても、何かちょっと難しそうな感じがずっとつきまとっていて距離を

   置いていましたね。なんとなく人間ドラマを見せられそうな、嫌な予感があった。結局一番シンパシーがあった日本映画

   は東映の映画でした。一番何も考えていない。

   そういう自分の実感が70年代に全共闘世代の人達が語っている言説とは全然ずれるわけですよ。「作家主体とは」「自

   己表現とは」というような言葉が飛び交っていた。困るんですよね。そういうことじゃなくて、ペキンパーみたいな

   スローモーションをやりたい。そういうことを初めて言葉にして与えてくれたのが、蓮實さんの批評であり、いわゆる

   ポスト・モダンの思想だった。

   ただそういうのを読んだりしていた頃というのは、正直ポスト・モダンというのが何なのかよくわかっていなかった。

   モダンがあって、ポスト・モダンがあるというモノを考える枠組み自体がわかっていなかったので、ポスト・モダンと

   いう言葉はやたら使われているけど一体何だろうねみたいな。僕のまわりで、私はポスト・モダンであるといっている人

   は誰もいなかった。だから鎮西さんがポスト・モダンといわれるとみんな、えっという感じです。それは当時ポスト・

   モダンという言葉があまりにも頻繁に使われていたためにある違和感のようなことだと思います。

   当時共感したのは、中上健次がたしかマルクスを引用してどこかに書いてあったエッセイがあったと思うんですが、人間

   は主体じゃなくて、社会の諸関係の束なのだという。それはもうほんとにバキッときましたよ。そうこれこれという感じ

   で。作家主体とか自己表現ではなく、こういうふうに人間を捉えなければ面白くない。これが自分の人間観だという。

   あとは大学に入って、露文学科という所に入っていたんですが、ロシアフォルマリズムの文献が当時やっと読めるように

   なった。そもそも高校の時に8mm映画をはじめたきっかけがエイゼンシュテインをたまたま見ちゃったという事だった。

   それももちろんエイゼンシュテインが伝えようとしているイデオロギーなんて全然わかっていなくて、ショットがつな

   がっていないという驚き。アメリカ映画というのはつなぎめを意識させないように編集する。それが全然つながってなく

   ていいのだと。それを衝突のモンタージュと呼ぶのだということを読みかじって、まずやってみたいと思ったのはフィル

   ムを自分の手でつなぎ合わせるという行為だった。だからほんとに思想とかいうより、マテリアルなことがやりたいとい

   う。フィルムとフィルムをつなぎたいという。大学に入った時にロシアフォルマリズムという考え方があったんだという

   ことで裏付けられていって、自分の言葉が与えられていく。そんなことだったと思います。

井土 作家主体や自己表現ということをいかに批判するか。それは疎外論批判、表現論批判の文脈にあると思うのですが、まさ

   に高橋さんや鎮西さんは映画を作る上でそれを実践されてきた。事後的にみれば、その実践は日本における映画批評の

   言語論的転回と響きあうものだったと思うんです。でも僕がものごとを考えていた時期には、疎外論批判が持っていた

   政治性がすごく希薄化してしまっていた、強度がなくなっていた状況だった。つまり画面を重要視することが、何の問題

   意識も持たなくてもいいような言い訳でしかなくなり、単なる記号の戯れに転落していっているという印象を持っていた

   んです。作家主体とか自己表現みたいなうっとおしい疎外論的な考え方が、一掃されたことは本当に良かったと思うんで

   すが、一方で創作でも運動でも何か実際に行動することを馬鹿にして、何もやらないシニカルな態度が蔓延していた。

   正直言うと、僕の活動を支えてきたのは、そういうものへの怒りでした。ただ、そこで安直に問題意識やテーマ主義に

   回帰すればいいのかというと、どうもそれも退行のような気がするし、何かゴリゴリの教条主義に陥っていくのはもっと

   ドツボな感じがしていた。そこで何か新たな地平でやれないのかというのを考え続けてきたということではあったんで

   す。

   鎮西さんは映画は自己表現であるとか、そういうものとは全く捉えないで、映画作りをはじめられたと思うんです。鎮西

   さんご本人とお話をすると、現代思想とかずいぶん読まれているし、それをどう摂取して、自分の映画作りに反映されて

   いったのかをお聞きしたいんですが。

鎮西 自己表現の自己なんてどうでもいい、作品が良ければいいってのは強くあって、68年の文脈で言うと「自己否定」って

   実に評判が悪いみたいなんですが、そんなに自閉したシニカルなものだと捉えることはなくて、もう少し解放感のある

   ものとして考えた方がいいのではないかという。

   高橋さんがマテリアルなことがやりたいと言いましたが本当にそう思ってて、書く事も撮る事も不自由な行為なんだって

   ことですよね。黒沢さんが気持ちは画面に写らないとか清順が自分の映画にテーマなんてないって言ったのも撮ることの

   不自由さを思い知れって事だと思うんですね。自分で撮ってすぐに分かることって、同じように切り返して、同じように

   同軸上でポン寄りしたのに、気持ちは持続してくれないし意味を持ってくれないってことだったし、カメラがあるっての

   も大きくて、こっちの意識とは関係なく写るものは写っちゃうし、厄介な代物だなと。

   でもそうも言ってられないし、こうなったらヤケだとパクッてたわけです(笑)。でもパクるのにも才能がいるってこと

   を思い知らされる破目になるわけですよ。そういうことが、当時万田、黒沢がいるということであって、高橋さんもそう

   なんです。

   例えば高橋さんの「夜は千の目を持つ」の最初のシーンとか、ただ大学の木の繁った窓を移動しているだけなのになんで

   こんなにサスペンスがあるのだろうと。「ハーケンクロイツの男」だとハーケンクロイツ型に人を死なせる。そういうの

   がどうしても面白いと思った方なんです。なぜそれなのに井土さんの映画が好きなのかという。人は成長するわけです。

   『百年の絶唱』を見た時の解放感ってたらなかったですね。映画はこれでいいのだと、見事にワンカットすら覚えていな

   いんですが、そんなもんスっ飛んでました。次はどんなカットがくるのだと、何かそういう歓びの中で見たという感じが

   しますね。

井土 「映画をパクる」と言われましたけど、それは「引用する」と言い換えてもいい。「引用」というのはまさにポスト・

   モダン的な行為で、「引用の織物」として一本の映画を作るということだって可能です。そして「引用」にももちろん

   才能はいるし、何よりも欲望の強さが必要であると。この間も高橋さんとそういう話をしていたんです。

高橋 「引用」という批評の言葉があって、僕も結構真に受けて読んでいたし、自分の映画でもやろうと思っていました。とこ

   ろが、自分が8mm映画とか撮ってからなんですけど、批評の言語の様相も変わってきて、それは蓮實さんの言説も批判的に

   読んで、新しい批評を書いていかなければいけないんだという事が始まってきた。それはすごく重要なことだったと思い

   ますが、その頃から「引用」という言い方ではなく、「参照」「レファレンス」という言葉に批評の言語が変わっていっ

   た。まあ、引用という事自体、ある種自分の血筋を示す署名である。ゴダールが行ういろいろな映画の引用というのは

   血筋を示す署名なんだと。それは前から言われていたことですが、それで僕は「そうだったの?」と。ものすごく誤解し

   ていたことに気付く。

   僕にとっての「引用」というのは、たとえば、映画は見ていないんですよ。一枚のスチールとか見て、一枚のスチールか

   ら妄想できるシーンを撮りたい。そういうふうになってしまう。だから自分の血筋を署名したいわけでもないし、何かを

   レファレンスしたいわけでもなくて、単なる火種である。欲望に火が付けばいいのだという。

   それがだんだん何かある参照するサンプルのような形に、自分の映画体験の一部が捉えられていくと、それは非常に制御

   された自分の知的な背景を単に説明しているものになってしまうのではないか。そうするとあまり面白いことにはならな

   いぞというのはありますね。そういう部分をひょっとしたら、井土さんは抵抗を感じ、違う方向に針が振れたのかなと

   思いました。

井土 ちなみに『百年の絶唱』にしたって、引用で成立している映画ですよ。でも、高橋さんが言われたような血筋がいいよう

   な映画からは全く引用していない。むしろ、シネフィルから馬鹿にされるような映画から引用している。それは意識的に

   そうしたのかと言えば、そうではなくて、自分が共鳴したり、これは「パクりたい」と思ったのがそういう映画だったと

   いうだけなんですけどね。鎮西さんが誉めてくれるけど、それはあまりの血筋の悪さが逆に爽快だったということなん

   じゃないかと思いますけどね(笑)。

   自分の映画的な血筋のよさを証明したいがための「引用」によって、引用される対象がサンプルとして定番化し、これだ

   け自分はいい映画を見てきたということの存在証明としての参照みたいなことになっていくと、それは映画を巡る状況が

   サロン化していくだけだし、つまらなくなっていく。今、高橋さんの言われた「引用」というのは身も蓋もないし、乱暴

   な、暴力的な振る舞いだと思うんです。自分がこれはすごいと思ったから真似してみる。その衝動こそが大事だと思いま

   すけどね。


演出と荒唐無稽

高橋 それと、80年代にポスト・モダン的な思想の洗礼を受けて、アメリカ映画というものを自分の中で捉えなおしていくと

   いうのがありました。エイゼンシュテインとかから派生した考え方ですが、ショットは本当は繋がっていないのだとい

   う。西山洋市さんがよくいう、ワンシーン・ワンカットではなくて、ワンカット・ワンシーンなのだという。ワンカッ

   トの強さ。ワンカットがどかんとあって、存在を主張していて、繋がらないじゃないか、これ。

   そういう所まで映画が行かないと面白くない。そういうことから見事に繋がって、見事に一つのストーリーが語れている

   アメリカ映画をもう一回見直していく。もちろんゴダールを経由して、ブレヒトという人を知って、ブレヒトのシーンご

   とに独立しているという物語の組み立て方も、それを一番やっているのはアメリカ映画だったんじゃないかというふうに

   見直していくというのがありました。

鎮西 西山さんとは叙事性という事も話題にされてて、井土さんとは対談もされてますよね。今の話を展開するのは僕の手には

   負えないわけで、井土さんの酒の席での「政治のない文章、映画は駄目だ」云々。勇気づけられてはいるんです。

   そうですね、今日の僕の作品の脚本は暉峻創三君が書いてて山中貞夫の『百万両の壷』を下敷きにしてるわけです。当時

   暉峻君は『この村の伝承』という8mm作品も撮ってて、物語るって事を意識的に考え始めていた頃だと思うんですね。

   だからこんなにブツ切れの作品にしてはいけないものだと思うんです。これを撮った当時、そんな話しもしてたと思うん

   ですが、僕はまだ形式的に構築しよう、もっと即物にならないかと足掻いてたと思うんですね。

   西山さんの『桶屋』を見た時に厳密だなぁ、似たような事を考えてたはずなんだがと。僕は西山さんも十分に形式の人だ

   と思ってるんで。でも当時はここで風が吹かないかとか、何かここで一つ面白いことをやっておかないとなんて考えてし

   まってたんです。

井土 今日の『ホテトル天使』だと、濡れ場の後に裸で撃たれたはずの佐野和宏さんが、死ぬ時にどういうわけかもう一回服を

   着ている。あれもある種の荒唐無稽をねらっているんですか。

鎮西 死ぬ時はそうだろうと(笑)。

高橋 思い出しましたけど、80年代に映画を作っていたモチベーションというのは、これもシネ研やパロディアス・ユニティー

   で共有されていた感覚なんですが、真剣にくだらないことをやるというのはありましたね。佐野さんが服着ているのも

   くだらないという(笑)。くだらなさの強度というんですかね。そういうものが伝わらなくなっているのかなという感じ

   はあります。

   時代によってある種の言葉が効力を失って、代替する別の言葉が生まれてくるように、80年代に僕らが一番強いテンショ

   ンで掴んだはずの言葉が次第に基盤を失っていく。そういうことに僕らもだんだん作っていくうちに気付いていくみたい

   なことがありました。井土さんが試みようとしていることはすごくよくわかるから、『百年の絶唱』を見ても、そのこと

   に共鳴したんだと思うんです。

   井土さんの8ミリ作品では『第一アパ−ト』がすごく好きなんですけど、あの時もう考えていたんだなというのはありま

   したね。後で見てわかったということですね。

   じゃあ80年代に撮られたこの『ホテトル天使』を見た時に、もう時代遅れのものに見えるかというとそうではない。

   昔見た時も小林真琴さんという女優さんがすごくよくて、本当にいい女優さんがいるなと思って見ていたんですが、最近

   見直して、やっぱりいいんですよ。まさに演出という領域に関わってくる。画面を考えるのも、もちろん演出ですが、俳

   優に対してどうアプローチして、俳優がどう画面に写るか。そういうことがきちんと現場でなされていたからこそ、今も

   画面が強度をはらんでいる。小林真琴さんという女優の存在の仕方が今も伝わってくるものがあるんですけど、どんな演

   出をされたんですか。

鎮西 どう画面に写るかという事を一生懸命に考えていたんですが、小林真琴さんはタイトスカートがとてもよく似合う女優さ

   んだと。彼女が出演していた映画を見て、思っていたんでどうしてもって思っていました。

   撮影の時にも台本にはなかったんですが「ここでタバコを吸ってもいいですか」って聞いてくるような女優さんだったん

   で、僕から注文をすることは何もなかったです。井土さんからは佐野和宏さんだけが自我のある芝居をしていると言われ

   たんですが(笑)。主役二人に関しては台詞まわしを聞いた瞬間頭が真っ白になって、確信犯的に自我を抑圧しました

   (笑)。「もっと棒読みにして下さい」って指示ばかり出してました。暉峻君の文体だから出来たってこともあると思う

   んですけど。『百年の絶唱』の佐野さんはとっても初々しくていいなぁと、素直に演出の力だなぁと見てました。

高橋 井土さんは演出ってどうやるんですか。

井土 変わってきたなと自分で思います。

   さっき『第一アパ−ト』のことを言われましたけど、自主映画を作っている人間はみんなそうだと思うんですけど、

   ショットから入ると思うんですよ。どうやってそのショットを成立させて、画を作るかというのを考える。これは「引

   用」という行為とも無関係じゃなくて、こういうショットが撮りたいというのがどうしても最初にあって、『第一アパ

   ート』の頃は、若気の至りでゴダールを引用したりもしている(笑)。

   『百年の絶唱』もほとんどショット重視でした。自分のイメージの鋳型に役者さんの芝居をはめ込もうとして、佐野和宏

   さんによく怒られました。でも佐野さんがいてくれたおかげで、芝居まわりのこと、若い役者の芝居をフォローなんかを

   やってもらって本当に助かったというのはありました。ただ、今は芝居を作らないとだめなんだというふうに思って、

   試行錯誤している感じです。

高橋 事前リハーサルをしているといっていましたよね。

井土 今回、三部作という形で作ったんですが、最後に撮影した『朝日のあたる家』では事前のリハーサルはやりました。

高橋 それが一番びっくりしたんですよ。自主映画でリハーサルをやるんだという。やったことないですよ。それは単にショッ

   トから入るということなんですけど。井土さんは芝居重視というか。

井土 いや、いや、そんなことないです。今回の三部作でも、一本目はほとんど素人の人たちだったので、現場で自由に動いて

   もらって、それを鍋島淳裕カメラマンに追ってもらうというやり方でした。二本目もやってない。そこでの反省点を踏ま

   えて、吉岡と話し合い、三本目では時間的な余裕を作ってもらって、真剣に芝居を作る、演出する、そこから見えてくる

   ショットを撮るべきなんじゃないか、そういうことに挑戦したというのが正直なところです。

高橋 常本琢昭さんは厳密にやりますよね。撮影より先に重要な芝居のリハーサルをやる。動きをやってみる。重要な芝居は役

   者に動いてもらって、逆にいうとそれをやらないと、自分のカメラポジションが見えないんだと。どういうふうに決める

   かというと、自分の一番見たいところにカメラは入るんだという。それはある意味王道だなと思うんですが、僕はやった

   ことがないんです。

鎮西 それは僕もそうです。高橋さんが『ソドムの市』を撮り終えて時間が開いてウズウズしている。更に妄想を膨らませてい

   るってのはよく分かります。何でも来い、すぐにでも撮ってやるっていう約束手形のような映画でしたもんね。佐野さん

   の話は井土さんですらそうだったのかと笑えましたが、いやぁ弁証法的に王道を歩んでるなと、うらやましいです。

高橋 事前のリハーサルなんてやったことがないんですけど、美学校では生徒にやれと言っている(笑)。

鎮西 『ソドムの市』でもやってないんですか。小嶺麗奈さんがハマリ役で、高橋さんが女優さんを主役に映画を撮ったのは

   初めてだと思うんですが、本当に映画をグイグイ引っ張っていってて惚れ惚れしたんですが、それにしても、政治、宗

   教、社会問題、スケールがデカいですよね。そしてこれでもかこれでもかって終わらない撮影ですよね。特に女優さん

   達は驚いたと思うんですが、リハーサルはなかったんですか。

高橋 殺陣のシーンはやりました。それは違う意味だと思うんですけど。

   現場でやってもらって、どちらかというと型というか、フォルム先行で芝居を見ていく。その時にある程度自分の想定通

   りに人は動いてくれるし、そういう画が出来つつあるんだけれど、何かが違う時があって、一番頭が真っ白になるのは

   そういう時なんです。想定したことがうまくいかない時はたいした苦悩じゃなくて、むしろ大体言った通りのことは起き

   ているんだけど、何かが違うぞという時が一番つらい。そういうことが起こりますよね。そういう事を乗り越えないと

   強い芝居であったり、強い画というのは出来ないんじゃないか。

   西山洋市さんとかと話をしていて思うのは、彼は場数を踏んでいて、そういうことにいっぱい直面しているんですよ。

   自分のイメージがある一定の成果をあげつつあるんだけれど、その通りになった時にそれがありきたりになってしまうこ

   との怖さ。それをいかに回避するかということで、それを導入するものを彼はコンセプトと呼んでいるんです。イデア、

   観念ではなく、コンセプト、概念であると。コンセプトは妊娠するというのが語源ですよね。宙に浮いたイデアではなく

   て、地面に降りて血肉化した何かなんだという。そういう意味合いで使っていると思うんですが、僕はその西山さんの

   考え方は面白いなと思っていて、もっと掘り下げたいなと思っているんです。

   たしかに自分のイメージが先行してしまって、それがありきたりになってしまうことを現場で知るみたいなことがあると

   思うんです。鎮西さんはそういう時はどうするんですか、井土さんにも伺いたんですが。

井土 僕はそこまでは深く考えていないし、論理化も全然出来ていないんですが、事前リハーサルをやる方向にどんどん傾いて

   きていますね。それは役者さんにもよりますが、例えば、佐野和宏さんや伊藤清美さんのような方だったら、事前リハー

   サルの必要はないし、動きの確認さえあれば現場でのテストすらそんなに必要ないと思う。でも、僕は演技経験の少ない

   人とやっているのが多いので、事前リハーサルをやった方が役者さんのためにもいいし、リハをやっていくうちに、こち

   らにも見えてくるものが大いにあるという感じです。

高橋 きっとそうなんだと思うんですよ。

井土 ただその事前リハーサルがありきたりな画を作り出すことになってしまわないか、ということですか。

高橋 そうですね。それはたまたま今学校で教える立場にあって、リハーサルを繰り返す生徒たちの動きを見ていると、よく

   掴めないから同じ事を何度もやります。やっているうちに疲れちゃう。その時に西山さんの言葉でいえばコンセプトです

   よね。この人物にどうアプローチすればもっときわだつか。そういうアイデア一発がないまま繰り返して、結局どこに

   カメラが入るかも決まらず終わってしまうみたいな感じがあるんですよね。

   最近の若い人の作った映画を見ていると、イメージのまま、今や現場にモニターがあって画面はいかようにも調整できて、

   どういう画がとれるか現場でわかっているという状況の中で、流通しやすい、わかりやすいかつ一応シネマとして評価

   される画がやすやすと撮れていく。それを繋いでいるだけの映画が広まっている感じがして、危ない、何か一歩踏み出し

   たみたいなものがないんですよ。それでは困るのだということをどう伝えていけばいいのかという。まあ、結論はないん

   ですが。


自主映画について

井土 では、最後にまとめに入っていきたいと思いますが、今回この企画の中で、強引に鎮西監督の映画をポスト・モダンの

   文脈に位置付けてしまうような形になってしまったのですが、じつは僕やこの企画を考えた山本均さんが、一番やりた

   かった鎮西さんの映画は『パンツの穴 キラキラ星みつけた』という作品だったんですね。ある意味、鎮西さんが作ら

   れてきた映画の中では極北であり、本当にすばらしい、感動的な映画です。ぜひともそれを上映したかったんですね。

   ところが、権利の問題等で上映できなかった。もうひとつ、今日の『ホテトル天使』はビデオで上映するしかなかった

   のですが、たかだか10数年前の作品なのにフィルムがジャンクされている。フィルムすら残っていない状況なんですね。

   高橋さんともよく自主映画という話をするんですが、作る上での自主映画ということもあるんですが、やっぱり商業映画

   であっても作り手が上映したいといった時に最低フィルムが上映できるような状況にしないとどうしようもないと思って

   います。どんな面白いものを作っても、のちのち映画が上映できない状況ではどうしようもない。そのことを鎮西さんの

   作品を企画する上で痛感しました。自主製作のよさというのは、作って、数年後でも上映するといった時にパッと作品を

   やれるということの素晴らしさだと思うんですね。岩佐寿弥さんの作品は自主映画ですから、すぐに上映できるわけなん

   です。作っていく上での内容や制作体制のことももちろんあるんですが、こういう上映をやっていく上での下部構造とい

   うか、経済的な問題は大きな問題としてあると思います。高橋さんや鎮西さんはその辺はどうお考えですか。

高橋 映画を作る上で動きやすいフレームがあった方がいいなということはみんな思っていますよね。それで鎮西さんも含めて

   ピンク映画やVシネマというのがまっとうに機能していた時代に、それはやっぱり会社から押し付けで作らされるものだ

   し、実はフィルムがジャンクされてしまったりするんだけれども、困ったことにあの頃が一番自由だった気がするという

   ことがあります。あの頃が一番無責任にホイホイ映画が作れた。自主映画もそういう意味で自分達でフレームを作ってし

   まう。

   今日の映画もかなりそういう要素が濃厚に反映されていて、実際シネ研の僕の後輩達も参加していたし、暉峻創三という

   人が脚本をやっている。そういう人達は普通プロとは出会わない、あるいは現場に入ったら現場の人として振舞うしかな

   いというのがあった時に、黒沢さんの『神田川淫乱戦争』もそうだったんですが、鎮西さんの『ホテトル天使』も融通

   無碍に両者が出会いましたよね。ピンク映画やVシネマという形で場数を踏めたんですよね。あの時に。ただそれも難し

   い状況になってきて、非常に高い技量のある人たちが撮れなくなっているということを何とかしたい。

   その一つとしては自主映画というフレームをこれからも立ち上げるしかなくて、今日も本当は裏で画策しているのは、

   鎮西さんに撮らせてしまおうということなんです。以前あるプロジェクトがあった時に鎮西さんに電話したんですが、

   即決で断られました(笑)。普通「ちょっと考えさせてください」とかって職業的な人はいうんですけど、興味ないと

   けんもほろろですよ。

井土 新たに撮るということについてはいかがですか?

鎮西 まあ、それはいいでしょう(笑)。

井土 はぐらかされてしまいましたが(笑)、ピンク映画やVシネマが以前ほど量産されていないという状況があるなかで、

   ある時期以降、鎮西監督は映画を撮られていない。鎮西監督の作品は事後的に見ると本当にポスト・モダンの思想的

   展開を見事に体現した映画だと思います。しかも、最も過激に体現している。それが生半可ではない。今見ても過激で、

   だからポスト・モダンの映画も徹底して過激になると、商品性を逸脱して市場原理とも激突せざるをえない。それが

   鎮西さんの撮ってこられた作品に対する僕の印象です。ですから今後自主という形でもいいから、どんどん撮っていた

   だきたいと思っています。

   今日はどうもありがとうございました。


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